1月28日  町田さんのお葬式 農大同窓会役員の柳沢さんが見える。


みや子さんが3年前に母の白寿祝に書いてくれた色紙です。
それから3年とちょっとで、お別れになってしまいました。嬉しいことがあると真っ先に聞いていただき、一緒に喜んでくれる、みや子さんでした。何かにつけてなんでも話し合える、私の心の支えでした。母の教え子でもあり、みや子さんのお姉さんが母の従兄と結婚したので、親戚関係でもあります。何かと御縁があり私が佐久へ来てからはずっと長いこと、お付き合いさせていただいてきました。若い時の怪我がもとで足が不自由になり、松葉杖の生活をずっとして来ましたが、洋裁の技術を生かして、80歳近くまで現役で洋裁のお仕事をしたり、仏画を書き、書道をする、素晴らしい生き方をしてこられました。
いつも、私の憧れであり、人生の師でもありました。
晩年ははがき絵を書き、新聞に投稿する楽しみも持ち、心豊かに穏やかに過ごしていました。
私が語りを覚えると、真っ先にみや子さんに聞いていただく、お相手でもありました。うんうんとうなずいて、上手に聞いてくださるので、ゆったり語ることが出来る最高の聴き手でした。
ここ半年くらいは、ハーモニカの聴き手であり、12月は私たちのハーモニカに合わせて大きな声で歌っていました。
明るく元気なみや子さんでしたが、ご飯が食べられなく、食欲の無いのが気がかりでしたが、最後は足が痛くて、痛くて本当に何とかならないものかと思っていましたが、ついに大手術をすることになり、自分でもびっくりしたようです。
でも、亡くなる前の日に酸素マスクの口で歌が歌えたことには本当にびっくりしました。なんと強い精神力でしょう、